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歴史・偉人の豆知識・雑学

108こ・すべて出典つき
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聖徳太子や織田信長、エジソンやモーツァルトまで、歴史と偉人の豆知識を108こ集めました。気になったものは「出典」から元の資料も読めます。

歴史・偉人のへぇ!ランキング

みんなの「へぇ!」が10件たまるまでは、編集部のおすすめを出しています。

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1

「聖徳太子」は、亡くなったあとにつけられた呼び名。

生きていたころは厩戸王(うまやとのおう)などと呼ばれていたと考えられています。

4

奈良の大仏の頭のぶつぶつは「螺髪(らほつ)」という髪の毛。

くるくる巻いた髪の毛で、奈良の大仏にはもともと900個以上あったといわれます。

5

「平安京」の場所は、今の京都市。

794年に桓武天皇が都を移し、「なくよ(794)うぐいす平安京」のごろ合わせで覚えられます。

6

紫式部の『源氏物語』は、世界最古の長編小説のひとつといわれる。

平安時代の宮廷を舞台にした物語で、千年以上読みつがれています。

9

源頼朝が開いた鎌倉幕府は、日本で最初の武士の政権。

12世紀の終わりごろに鎌倉で始まりました。始まりの年には1185年説や1192年説があります。

10

「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」は、今は「いい箱(1185)」で教えることが多い。

幕府の始まりをいつとするかの考え方が変わり、教科書の書き方も変わりました。

13

銀閣寺には、銀ぱくがはられていない。

正式には「慈照寺」といい、足利義政が建てました。銀閣と呼ばれますが、銀はつかわれていないと考えられています。

14

織田信長は、南蛮渡来のマントや地球儀を好んだといわれる。

宣教師から西洋の品物を受け取り、新しいものに強い興味をもっていたと伝えられています。

15

織田信長に仕えたアフリカ出身の家来「弥助」がいた。

宣教師が連れてきたアフリカ出身の人で、信長に気に入られて家来になったと伝えられています。

19

江戸時代の「参勤交代」では、大名が1年ごとに江戸と自分の国を行き来した。

大名の行列には何百人、何千人もの人が加わり、多くのお金がかかりました。

20

江戸時代の時刻は、季節によって1時間の長さが変わった。

日の出から日の入りまでを6つに分ける「不定時法」だったので、夏の昼の1単位は長く、冬は短くなりました。

21

葛飾北斎は、90年近い人生で90回以上引っこしをしたといわれる。

絵をかくことに夢中で、部屋が散らかると引っこしたという話が伝わっています。

23

坂本龍馬は、日本で初めての商社のような組織「亀山社中」をつくった。

のちに「海援隊」となり、船での運送や貿易を行いました。

24

坂本龍馬は、妻のおりょうと日本で初めて新婚旅行をしたといわれる。

1866年、鹿児島の霧島などへ旅をしたことが「日本初の新婚旅行」といわれています。

28

野口英世は、子どものころのやけどで左手が不自由だった。

それでも努力して医学者になり、黄熱病の研究などで世界的に知られました。

32

宮沢賢治が生きている間に出した本は、2冊だけ。

詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』だけで、多くの作品は亡くなった後に有名になりました。

34

芥川龍之介の名前の「龍」は、辰年・辰の月・辰の日・辰の刻に生まれたことからといわれる。

生まれた時がすべて辰だったことから、龍之介と名づけられたといわれます。

37

ノーベル賞は、ダイナマイトを発明したノーベルの遺言で始まった。

自分の財産で、人類に役立つ仕事をした人に賞をおくるよう遺言しました。第1回は1901年です。

54

日本最古の歴史書は『古事記』で、712年にまとめられた。

天皇の命令で、稗田阿礼が覚えていた話を太安万侶が書きまとめました。

56

元号の「令和」は、『万葉集』の歌の言葉からとられた。

日本の古典から元号がとられたのは、確認できる中で初めてです。

60

青森県の三内丸山遺跡は、大きな縄文時代のむらのあと。

大きな柱のあとや、たくさんの住居のあとが見つかっています。2021年に世界遺産になりました。

61

卑弥呼は、邪馬台国の女王。

中国の歴史書『魏志倭人伝』に書かれていますが、邪馬台国がどこにあったかは今も分かっていません。

62

「埴輪」は、古墳のまわりにならべられた焼き物。

人や馬、家などの形をしたものがあり、古墳時代の人々の様子が分かります。

63

忍者は、本当に存在した。

伊賀(三重県)や甲賀(滋賀県)などの忍びの者が、情報を集める仕事をしていました。

64

忍者が黒い服を着ていたというのは、物語や舞台から広まったイメージ。

実際には、目立たない農民や商人の姿をしていたことが多いといわれます。

65

侍のちょんまげは、かぶとをかぶったときに頭がむれないようにするためという説がある。

頭のてっぺんの髪をそる「月代(さかやき)」は、かぶとのむれを防ぐためといわれます。

66

日本の城の天守閣で、江戸時代以前からのものが残っているのは12だけ。

姫路城や松本城など、昔のまま残る天守は「現存12天守」と呼ばれます。

67

姫路城は、白い姿から「白鷺城(しらさぎじょう)」と呼ばれる。

白いしっくいでぬられた美しい城で、1993年に日本で初めての世界遺産のひとつになりました。

68

卑弥呼が中国の魏からもらったとされる金印は、まだ見つかっていない。

「親魏倭王」の金印をもらったと記録にありますが、実物は見つかっていません。

70

遣唐使の船は、4隻で出発することが多かった。

海をわたるのが危険だったため、何隻かで出発し、無事にたどり着けない船も多くありました。

72

平安時代のひらがなは、主に女性が使う文字だった。

ひらがなは「女手」とも呼ばれ、紫式部や清少納言らの文学を生みました。

79

戦国時代の武将・武田信玄は「風林火山」の旗で知られる。

「疾きこと風の如く…」という中国の兵法書『孫子』の言葉が書かれた旗です。

80

上杉謙信は、敵の武田信玄に塩を送ったという話がある。

「敵に塩を送る」ということわざのもとになった話ですが、本当かどうかは分かっていません。

85

徳川吉宗は、目安箱をつくって庶民の意見を聞いた。

目安箱への投書から、貧しい人を無料で診る小石川養生所がつくられました。

86

江戸時代の飛脚は、江戸と大坂の間を最短で3日ほどで手紙を運んだ。

リレー形式で走りつなぎ、急ぎの手紙を運びました。

87

江戸の町には、木戸番や火消しなど町を守る仕事があった。

町火消しの「いろは四十八組」が火事と戦い、「火事と喧嘩は江戸の華」といわれました。

88

平賀源内は、エレキテルを修理して見せた江戸の発明家。

オランダから伝わった静電気の発生装置を修理・復元し、人々をおどろかせました。

98

津田梅子は、6歳でアメリカに留学した。

1871年、岩倉使節団と一緒にアメリカにわたり、のちに女子英学塾(今の津田塾大学)をつくりました。

99

渋沢栄一は、約500の会社の設立にかかわった。

「日本資本主義の父」と呼ばれ、銀行や鉄道などたくさんの会社づくりにかかわりました。

108

「昭和」の元号は、中国の古典『書経』の言葉からとられた。

「百姓昭明、協和万邦」という言葉からきています。

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